進行速度遅かったので5月に見れなかった瑞巌寺に!
ほんとは次の日見に行こうと思ってたんですけどね~日曜日だと混むだろうから
あまり人がいると苦手だというし…
松島には仙台駅から石巻をつなぐ仙石線で
[松島青龍山 瑞巌円福禅寺]
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平安時代初め天長5年(828)、慈覚大師 円仁により開創され、天台宗延福寺と称した寺がその前身といわれている
鎌倉時代中期の13世紀半ば、執権 北条時頼が法身性西和尚を開山とし、円福寺と改称、臨済宗建長寺派の禅寺に改めた
円福寺は鎌倉幕府の庇護の下に栄え、室町時代も五山十刹制度の諸山に位置っけられ、末寺を作り発展した
しかし、戦国時代を経て寺勢は衰え、その末期に妙心寺派に属した
江戸時代初め、仙台六十二万石の祖となった伊達政宗が師 虎哉和尚のすすめで現在の大迦藍を完成
本堂御成玄関、庫裡回廊は国宝
御成門、中門、障壁画は国重要文化財に指定
本堂
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本堂に入ると襖という襖が金に輝く部屋になっていて寺という感じがあまりしなかった
もちろん現在はめられた襖はレプリカで宝物庫の方に下記、文王の間の本物が飾られてました
かなり金は剥げてしまってますけどね
3 文王の間
紀元前、中国、殷周大戦の周の文王とその親にあたる武王の軍師 太公望を描いた屏風
相方が太公望ときいて…釣りとかいうから…(釣りを知ってただけマシか(笑)
種割れ(ガンダムSEEDのね(笑)が起きてしまい解説してしまた…
後ろでカップルが見ていたの気づかなくて…
それずっと聞いてたみたいで…
振り向いたら、さっぱり解らない(笑)と言われ恥ずかしくて苦笑してしまった
4、5 上段の間、上々段の間
ここは都から来た皇族が泊まったりする際に使われた部屋
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小さな画像の左端の1段高くなった部分が上々段の間で畳半畳くらいしかないスペースで結構狭い
ここが皇族が座る場所
上々段が飛び出ているのでここは廊下が狭かった
6羅漢の間
ここは羅漢像が置いてあり襖は他の部屋の裏側にあたるわけですが、裏は金ではなかった(笑)
伊達だ、伊達(笑)
8~菊の間から鷹の間あたりは金ピカ襖、お付きの客室って感じかな
案内のオバサンがいてそれについていくと説明がきける
青龍殿(宝物館)
伊達家というか、円福寺時代含む、松島地域の歴史館のような感じで鬼瓦や能面、発掘された土器など様々なものが展示してあります(ちなみに瑞巌寺の周辺を発掘調査したところ、寺にはよくあることですが移築されていて、その前身の円福寺は別の場所にあったようで…瑞巌寺の下からは塩の精製所の跡が見つかったとか)
相方は梵字(岩に刻まれた写経というか)に興味があったらしく帰宅後調べてて
インドのブラーフミー文字らしかった
自分は大脇差かな
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1655年に二代伊達忠宗が作らせたとされる脇差しで
刃が5cm幅くらいありさらに刃終のあたりには現在のアニメやRPGなんかで出てくるような武器のような感じで(笑)
よくコスプレ用とかの模造刀とか売ってますが、それに近いような感じに見えた
政宗、妻 愛姫の木像有り
小学生の頃、瑞巌寺は来たことあったけど寺に続く参道に杉並木があって夏だったけどそこ涼しかった記憶あるんですよね~
311の塩害でやられてしまったらしく全て伐採されてしまってて
着いたのがお昼時で腹は減ってましたが混んでたんで、見終わってから14時過ぎにおばちゃんが1人でやってるような海産の焼き物店があったからそこで昼食
駅降りた時から焼き物のいい香りしてて(笑)
生物はこの前寿司屋で食べたんで今回は焼き
イカ、つぶ貝、ホタテ、サザエかなあったの
遊覧船も乗りたかったんだけどね
微妙に風強かったりで徐々に台風の影響が出てきていて
また今度機会あればいけるし!
相方は旅行というかホテルが気に入ってるからどちらでもって感じなので…(笑)
次の日は朝から風強くて、7月に駅前にパルコが新設オープンなってて
6Fだったかな?
東宝シネマズが入ってたんでミュータントニンジャタートルズ 影を観た!
で、帰宅
ちょっと杉並木無くなってたのショックだったな~
昼食べた焼き物のおばちゃんに訊いたら、311の時は松島の島々が波消しになりましたが、それでも30cmくらいは浸水したみたいで
政宗の瑞巌寺に行きたかったし
ちょうど読み半端にしててまた読み始めた、鯨さんの[すべての美人は名探偵である]の古文書が見つかった舞台でもあったりしてそういう理由もあったけど…
仙台に住んでた時の友達に石巻に住んでたやつがいたんですよね
311から連絡がつかないやつで…
他の人たちにきいても解らないっていうし、消息が
そいつは会って遊んでたりすると電車の時間をよく気にしてて…
その友達が乗って通っていた電車の風景はどんなものだったんだろうか…とちょっと乗ってみたかったのもあったのです
仙石線から見る松島も良いですね~