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「このサンカ野郎!!」
この言葉はうちの祖母が小さな時にイタズラや悪い事をすると親にそう言われて怒られたという言葉
幼い時、祖父母と生活を共にしてた自分も寝ている祖母のまぶたに油性マジックでイタズラ書きしたり、故意に悪い事をしたりするとそう言われて怒られたのだった…
祖父母の話す言葉には時々意味解らない言葉もあってそのたびどゆ意味?と怒られてるのそっちのけで質問したりしてたのだけど、その中でサンカ野郎のサンカとは!?聞いたけど、うちら小さな時から言われてたから意味は解らないと言われて数十年…
ネット社会になり何気に検索かけたらサンカと呼ばれる人たちが過去日本にいた、それも日本のジプシーと呼ばれ定住を持たず各地を転々として暮らしていた人たちのことらしいというのが解った
彼らは自身で住む場所が変わる者としてテンバ(転場)と呼んでいたらしい
この本が出版されたのは2000年なんですが、内容は元朝日新聞記者 三角 寛という人が昭和初期にまとめ上げたサンカの人たちの生活や仕来たり、またサンカを題材にした小説を書き上げた人でサンカという言葉を世に広めた人という話だ
ただ、色々調べると三角さん著書のサンカ研究資料には本当にサンカなのか?と疑い深い話、または創作の部分もあるらしいことを最初に理
(掲載されているサンカの写真などは捏造もあるとか)
ただ、とはいっても当時の生活背景や彼らのように河原にテントを張り箕と呼ばれる農作業に使う道具の修理をして歩いた人達がいたことは本当のことなので、フィクションとノンフィクションの間、けど人がへぇ~と思うような興味深い箇所は捏造という(笑)形体の小説だと思えば読物としては大変面白い!
…大変大がかりなフィクションだけど(笑)
うちの祖母は現在90を越えた大正15年(昭和元年)生まれだ
この頃三角さんは朝日新聞に入社し、世間を騒がせた説教強盗の取材からサンカに興味を持ち研究を始めたらしいのだ
(説教強盗て既に面白いワードが(笑)
ただし、三角さんがサンカ研究を始めた昭和初期というのは、いわゆるサンカの定義である河原に瀬振りと言われるテントを張り、箕や竹細工の製作修理をしながら各地を回るサンカはいるにはいたけど、大分数も減った時期だったのではないか?
また江戸から明治になった際、国の形態が変わった事でそれまで放置状態だったサンカたちも人口調査や税徴収等の対象になり明治政府がその把握に大変苦労した記述もあった気がする
なので今はアフリカのマサイ族もスーツを着て、携帯を持つようにサンカたちも独自文化があったとしても時代の並みにのまれて消えつつある時代だったのだとは思う
擁護するわけではないが、そういう状況ではサンカ自身も世代を重ねて話を直接訊けたとしてももう解らない文化もあったのではないかと思うし…
昭和になれば近代化しちゃってきて農作業は地方のみになってきてただろしな~
なので昭和になると傘の骨組みの修理やゴム長靴の修理など多種多様に仕事内容が変わったらしいのだ
サンカ生活を辞めた者たちはトケコミといって普通の人達のように家を持ち仕事をする普通の生活をおくるようになっていったということ
だと必然的に考えられるのは適応出来なかったサンカが犯罪に走ることで…
ジモドリといって一旦はサンカ生活を引き払った人がまたサンカに戻ることもあったという
つまり、昭和初期に育った祖母の頃にはサンカ=良くない人というイメージがついていて疎まれる存在だったのかも
と、同時にホイトなどと呼ばれた今でいうホームレスや浮浪者などもサンカがテントを張って暮らしていたのに混ざって生活していたらしく見分けが難しくなっていた時期だったのかもしれない
ホームレスが河原に段ボールハウスというのはその瀬降のなごりなのかも(笑)
なので、歴史系小説は例えば、三國志には作家により吉川三國志や横山三國志のように作家さんの名前を頭に付けて区別することがありますが、自分は三角サンカとあえて呼ぶことにする
三角寛サンカ選集は全7巻
第1巻 山窩物語(フィールドノート)
第2巻 裾野の山窩(小説)
第3巻 丹波の大親分(小説)
第4巻 犬娘お千代(小説)
第5巻 揺れる山の灯(小説)
第6巻 サンカ社会の研究(研究論文)
第7巻 サンカの社会資料編(研究論文)
となっている
この第1巻はサンカについてまず基礎知識をつけるための彼の取材日記、三角山窩(サンカ)公式ガイドブック(笑)というべき内容というか
6、7巻は設定資料にあたるかな(笑)
小説は別にいいんだけど、設定資料は読んでみたいんだよな~
で、サンカなんですが
河原に瀬降りと呼ばれるテントを張り、箕や竹材で作られたものの修理や製作を請け負いながら各地を転々と移動して暮らす人々のことである
先にも言いましたが、これは本当にいたのは事実
さてここからが三角サンカ
彼らの特長として太古神代時代から大和民族としてわれわれの祖先が穴居生活をしていた頃から日本に住み、天孫火明命の命令で穴から地上に抜け出した時の姿そのままの形態で瀬降で暮らしていているという事
つまり、この日本の土地に最初からいた人たちの子孫的な話なわけなんですね
この文言だけでもロマンがあります(笑)
更には大親分からピラミッド状に、透破、突破、そのしたにクズシリ、クズコ、ムレコと全国各地にサンカを仕切る統率者がいたということ
組合的なものはむしろ近代化した時ならあってもおかしくはないと思うけどね
三角サンカの魅力はその文化だ
三角サンカの魅力その1!
神代文字に似たサンカ文字を使っていた
神代文字というのは神社仏閣等で使われる象形文字のこと
(これにも賛否が色々とありますけどね…)
そっち系の人たちにはその存在は有りなことになっているのでよくお札やお守り等に朱印が押されてますが、その時象形文字のような朱印を目にすることがあるかと!
それ(笑)
三角サンカは神代文字に通じるサンカ文字を使用していたということだ
古代から日本に住み、一部の人しか知らない神代文字と同じルーツの文字を使うという、まさに日本書記を具体化したようなアイデンティティーを持つ人たちってわけだ(笑)
凄い魅力的な設定資料?(笑)
ちなみに三角訳のサンカ文字でKATSUと書いてみた(笑)
画像2
で、一つ断りを入れたいのだけど自分は旅行先でふらっと見つけた遺跡跡とか好きで見に行ったりするんですけど
このサンカ文字が完全に捏造かというとこういう絵だか、文字だか解らないような記号って実際に古墳や遺跡や山の中の洞窟には残ってたりするんです
縄文の遺跡に限っていうと、実は結構身近に沢山あって大きな穴や雨宿り出来そうな自然な穴があるところって縄文人が狩猟で歩き回って休憩したり、一泊したりしてた場所だったりするんですよね
今見るとただの岩と岩の隙間だったりして、見ても興味ないと、で?って話なんだけど(笑)
サンカではないんだけど、そこは流浪の民サンカだから瀬降だけでなくそういう場所も利用しただろうとは容易に推測できますからね
現代人だって山に行っていきなり雨に降られたりしたら縄文人と同じ行動とるだろし
三角さんが解釈したようなこの象形文字に現代のアカサタナに対応出来てしまう意味があるとは思えないのだけれども、日本で発見されたこういった記号が全て捏造かというとそうではないということ
三角さんのは捏造だけど(笑)
サンカの魅力その2!
男が一人立ちする時にはウメガイという天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)と似た諸刃の山刀を頭目的人物から譲り受け、それを使い生活していて、古来の習慣や掟を守りながら生活している人たちということなのである(笑)
これは写真が掲載されてますが、捏造で本来のウメガイとはかけ離れた形状らしいのだ
文言を読んでいると箕を製作する際にも使ったとある
うーん、材料調達や裂いたりには確かに使えるだろけど、刀というよりは剣の形してるので編むという作業には使えないだろな~
それとそういう生活での諸刃の利点とはなんなんだろう…とは思う
叢雲の形というのがロマンなんだな~(笑)
ほんとはもっと色々あって書きたいのだけど、戦国時代のあの武将がサンカ出身とか、三角さんが出会ったサンカの話とか、まとめきれなかったので(笑)
三角さんが元朝日の記者でしかも捏造だったというのはなんだかな~(笑)
朝日は近年もそれで話題なったし、今は寧ろあの書き換え問題で正義の位置にいるわけだけど…自分とこも捏造するけど他者の捏造にもうるさいんだな(笑)
ちなみに古本市場でこのサンカ関係の書籍(特に三角さん)は捏造と解った今も人気がありまして入荷してもすぐ売れてしまうんです
何回買いのがしたか…
そもそもサンカなんて知らない人の方が多いだろし、版数売れてないだろから
この第1巻は比較的まだ手に入り易いんだけど…設定資料(笑)が欲しいな~
三角作品と筒井功さんが書かれた サンカの真実って捏造検証本を両方読むと三角さんがどう脚色してロマンあふれるサンカ像を作り上げたか?それが解るかと!
特に、小説や漫画等創作活動なさる方にこの比較はオススメ
人を惹き付け、魅力を感じる作品にはなにがあって、面白くない作品にはなにが足りないのか?
そういうのが解るかも
人に夢を見せたという点では三角さんは天才
研究者という立場なら最低な人だな(笑)
ちょっと鯨さんの邪馬台国はどこですか?を初めて読んだ時のようなワクワク感があったのでそこは面白かった、夢中で読んでしまったし(笑)